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September 28, 2005

中毒になった瞬間②~極楽背針

最初の釣りはヤマメ釣りだったが、その頃から傾倒していた伊藤稔さんが、鮎の友釣りの方がおもしろいと言っているのを聞いて、ちょっとやってみることにした。何をどうしたらよいかわからないし、周囲に友釣りをやっている人もいなかったので、『ベーシック鮎読本』(週刊釣りサンデー刊伊藤稔著)という本を買ってきて、一ページ目から読んで行った。最初はノーマル仕掛けで、流れのきつくない所で泳がせをしていたが、極楽背針のことが出ていたので、自作して、それを試してみることにした。本当にこんな物で鮎が釣れるのか半信半疑だったが、極楽背針にマッチするお勧めの仕掛けも揃えた。水中糸メタル0・08号付け糸0.3号鼻環周り1.2号だったと思う。鮎竿は持っていなかったので、竿はがまかつ本流スペシャル(渓流用)9mを使うことにした。水面を滑らせるように、おとり鮎を沖に誘導して、川の真ん中ぐらいのところで、竿を上流側に倒してみた。水深もあって、流れもそれなりにきついのに、養殖のおとり鮎がスーッと入っていった。直角三角形の90度の底点におとり鮎、30度の底点に穂先、45度の底点が自分というトライアングルになっていた。穂先を曲げて、ギュッと脇を締めて竿を持っていると、おとり鮎を浮き上がらせずに、水中で止められるような気がした。ほどなくして、目印に凄い反応が出た。両手でタメながら、少し下流に下がって、タモ受けしたのは20cmオーバーのきれいな野鮎だった。養殖おとりが流れに沈む感触、アタリ、野鮎とのやり取り・・・、どれを取っても、今までにない異次元ファンタジーワールドだった。背中に、相模○○会と刺繍の入ったベストを着ていた釣り人さんの拍手と掛け声で、我に返った。それから、同じ場所で、しばしの入れ掛かりを堪能し、循環の釣りの楽しさを実感した。今から10年ちょっと前は、地元の中津川ももっときれいだったし、素人でも、そこそこ釣れたものだった。背針の魔力に取り憑かれて、背針の釣りを、いや、鮎の友釣りをもっともっと知りたいと感じた瞬間だった。

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September 26, 2005

中毒になった瞬間①~テンカラ

僕が釣りを始めたばかりの頃だった。その頃は、とにかく、どんな魚でも釣りたいという節操のない釣りをしていた。僕の職場近くの川では、時々、ヤマメやイワナ、ニジマスが釣れるので、その日も、イクラや川虫を餌に竿を出していた。だが、その日は全く釣れず、どうしたものかと思案に耽っていた。リュックの中に、買ってから一尾も釣っていないテンカラロッドとライン、見よう見まねでまいたオリジナル毛鉤があることに気付き、それでダメなら納竿することにした。ウォーミングアップに少しキャスティングの練習をして、半信半疑で、堰堤の上から、毛鉤を振りこんでみた。流れの筋に、毛鉤が着水するかどうかというところで、突然、一尾のヤマメが水中から毛鉤を目がけて跳びだして来た。僕は、無意識に竿を持っていた右手を上げた。ドンピシャのタイミングでアワセが決まって、ラインがビシッ!と唸りをあげた。右手から全身に伝わって来る感触は、今まで味わったことのない快感だった。次に、きれいなヤマメが僕を目がけて飛んで来た。毛鉤を振り込んでから、ヤマメを手にするまではスローモーションで覚えている。心臓の鼓動が早まり、膝がガクガクして、しばらく放心状態だった。それから、その日は毛鉤を振るとヤマメばかりが掛かった。今から10年以上前の、梅雨に入る前の6月のある日のことだった。この釣りは、いや、釣りはおもしろいと思った瞬間だった。

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September 25, 2005

米良美一さんのヨイトマケの唄

美輪明宏さんに続いて、米良美一さんの「ヨイトマケの唄」も聴いてみた。シャンソン歌手の美輪さんの歌い方も良かったが、アルト歌手の米良さんの歌は、とても雄大な印象だった。

 ♪ エンヤコラ~
  父ちゃんのためなら エンヤコラ~
  母ちゃんのためなら エンヤコラ~
  もうひとつ おまけに エンヤコラ~ ♪

釣りの合間に口ずさみながら、「エンヤコラ~」と、大鮎を引き抜きたいものだ。最近、言っていることが支離滅裂である。でも、良い歌にめぐり合えたのは間違いない。

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September 24, 2005

美輪明宏さんのヨイトマケの唄

ネットで注文したヨイトマケの唄のCDが配達されて来たので、聴いてみた。今まで、美輪明宏さんのことを、ちょっと下がったところで見ていたのだが、減り張りのある素晴らしい歌手だった。減り張りとは、邦楽では、音の抑揚のことを言うようだが、これだけ、減り張りをきかせられる人も珍しいのではなかろうか。

この唄に、「あれから何年経ったのだろう 高校も出たし大学も出た 今じゃ機械の世の中で おまけに僕はエンジニア 苦労苦労で死んでった母ちゃん見てくれ この姿・・・」「何度かぼくもぐれかけたけど、やくざな道は踏まずに済んだ どんなきれいな唄よりも どんなきれいな声よりも ぼくを励まし慰めた 母ちゃんの唄こそ世界一・・・」という歌詞がある。この歌の主人公は、自分のルーツも分かっているし、母親に愛された記憶もある。そして、それが自分の人格形成に多大な影響を及ぼしているという認識もある。何にも増して、母性というは偉大なものである。

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September 19, 2005

ヨイトマケの唄

釣りには、自分の運転する車で行くのだが、道中はラジオやMDを聴いていることが多い。早朝であれば、〝森永卓郎・朝はニッポン一番ノリ!〟、午前は〝くにまるワイドごぜんさま~〟、午後は〝高田文夫ラジオビバリー昼ズ〟、〝テリー伊藤のってけラジオ〟、〝荒川強啓Dキャッチ〟、22時以降なら〝アクセス〟という番組だ。何か歌いたい時は、MDを掛けて、こぶしを回しながら歌っている。先日、サザンオールスターズのアルバムを聴いていた時に、桑田さんの「ヨイトマケの唄」を聴いて、不覚にも涙ぐんでしまった。いろいろ調べてみたら、この唄がヒットしたのは昭和40年、作者と歌手は美輪明宏さんだった。ヨイトマケという言葉の意味を広辞苑(岩波書店)で調べてみると、〝重い物を滑車で上げ下ろししたり、綱で引いたりする動作を、大勢で一斉にする時の掛け声〟や、〝そのような労働、主に地固めなどの仕事を日雇いでする人〟と出ている。さらに調べてみると、炭鉱が閉山されて多数の炭鉱夫が職を失ったが、1955~73年はちょうど高度成長の時期で、その頃の建築現場で優先的に雇用されたということである。この唄の内容だが、エンジニアとして働く男性が、ヨイトマケの仕事をしながら日銭を稼ぎ、女手一つで自分を育ててくれた母親を懐古する唄である。僕が生まれたのは昭和36年、唄がヒットした年は4歳だった。桑田さんはたしか7歳くらいの筈だ。あの頃は、余計な金も物もなくて、毎日がサバイバルだった。僕の母親も、内職したり、鉄工場にパートに出て、親父の家計を助けていた。僕のような「鍵っ子」はたくさんいた。学校の行き帰りに泥だらけになって遊び、みんな青っ洟を垂らしていた。TVゲームなんてものはないから、遊びはすべて自分達で考えた、文字通りのオリジナルだった。そして、家に帰ると、薪と石炭で風呂を沸かすのが僕の仕事だった。僕の親父は地方公務員だったのだが、お袋と結婚した時は家賃が減免される市営住宅に住んでいた。今振り返ると、ここは時代劇の長屋と同じで、困ったことがあると、みんなで助け合って生活をしていた。住宅の住民が差別的な目で見られているということに何となく気が付いたのが、小学校の高学年の時だった。僕の家族は、その後、庭付きマイホームに住み、マイカーで出かけることができるようになった。サザンの桑田さんも似たような体験があって、共感できる部分もたくさんあるかもしれない。この唄を聴いているうちに、差別や偏見を受けてきた美輪明宏さんの原曲を聴いてみたい衝動に駆られ、ネットで注文してしまった。また、もののけ姫で有名になった米良美一さんもカバーしていることを知り、これもまた買ってしまった。

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September 16, 2005

小泉首相、小市民の景気回復せず

12~13年ぶりに、スピード違反で切符を切られてしまいました。反則金は15000円、2点減点でございました。今日は私の給料日。この日は、いつもはレギュラーのガソリンをハイオクで満タン給油したり、夕飯は、普段より美味いものを食べることにしておりました。私は、そういう小市民でございます。それにしても、スピード違反の取締りというのは、絶妙な場所でやっているのには、正直、驚愕いたしました。今日、私が引っ掛かった、いや、切符を切られたのは、坂道を登りきって、下り坂を200mほど過ぎた場所でした。私が思いますに、走り屋や暴走族ではなくても、速度超過してしまう場所なのでございます。その後、営業車のサラリーマン、年配のご夫婦連れなど、次から次へと反則切符を切られておりました。小市民にとって、給料日に一気に15000円ロストは、かなり痛いものでございます。人によっては、それが尾を引いて、営業成績が振るわなかったり、家計のやりくりをしている奥さんが、財布のヒモをきっちり締めてしまうなど、景気低迷に繋がる一大事!であると言えなくもありません。案の定、今夜の我が家の夕食は悲惨なものでした。こんな感じで、些細なことで一喜一憂する小市民の悲哀溢れる生活を、小泉首相はじめ、政治家の方々に、少しでもわかっていただきたいものでございます。たしかに違反をした私や他のドライバーがいけないのでありますが、この上、増税でもされたら、私のような小市民たちの購買意欲はどんどん消失していってしまうのではないかと懸念いたしております。郵政民営化法案は通るのでしょうね、通ってからで構いませんので、こういった事柄から、キメ細やかな改革を進めていっていただければと、小市民は秘かに願っておるのでございます。

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September 14, 2005

アユツール依存症

先日、昼寝をしていたら、見知らぬ方々と、どこかの川で、鮎の入れ掛かりを楽しんでいる夢を見た。職場の薬剤師に相談したら、「あなたに付ける薬はない!」と、また、言われるだろう。あまりにも単純明快すぎて、フロイトの夢分析になるような現象でもない。話は変わるが、世に、アルコール依存症の人は多いと聞くが、「最新家庭の医学」(時事通信社)によると、依存には〝精神依存〟と〝身体依存〟があるようだ。アルコールのことが頭から離れなくなり、わかっていても止められなくなってしまうのが〝精神依存〟、アルコールが体から抜けると痙攣や震えなどが起きて、アルコールを飲むと禁断症状が消えるという状態を〝身体依存〟というようだ。また、わかっていても止められないという思いは、抑うつ状態や罪悪感を引き起こし、その反動で、家族にイライラをぶつけるなど、対人面で支障が出てしまったり、遅刻や無断欠勤などが続き、仕事面でも影響の出る人もいるようである。でもその一方で、アユツール依存症でありながら、釣りと仕事を上手に両立させている人も多い。今日は、たまたま、「家庭の医学」という本をめくったために、久し振りに自分の普段の言動を省みる良い機会になった。最後に付け加えておくと、依存症の多くの人は依存症という自覚に乏しく、専門家の判断との間に大きな隔たりがあるそうである。

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September 04, 2005

釣れ℡

釣友から、「釣れ℡よ~」という連絡を貰ったら、すぐ行くべし!です。昨今は、あっ!という間に情報が伝わります。ネットで情報が流れた週末は、ドッと.混むのです。有給休暇の取れる人は、すぐ飛んで行った方がよろしいでしょう。〝ローマは一日にして成らず〟ですが、〝釣り場は一日にして変わる〟です。

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